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昭和のSLダイジェスト版【後補機付き編】 4 года назад


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昭和のSLダイジェスト版【後補機付き編】

昭和40年代、SLブームの中、全国で活躍していた現役最後の蒸気機関車の記録から、後補機付き運転で活躍するSLをダイジェスト版にしてお届けします。 ① 花輪線 68622牽引~貨物列車~逆8620牽引 赤坂田⇒龍ヶ森 花輪線は、東北本線盛岡と奥羽本線大館を結ぶローカル線です。 龍ヶ森信号所をサミットに両方向より33.3パーミルの急勾配が続き、牽引定数の多い貨物列車には前部か後部に補機が付き、中には三重連の運行もあり1970年代のSLブーム時は、全国から大勢のSLファンが訪れ「龍ヶ森銀座」とも呼ばれていました。 ここでは68622が牽引する貨物列車に、後部に逆向きに8620の補機が付き、赤坂田より龍ヶ森に33.3パーミルの急勾配をよじ登ってきました。 ② 関西本線 関⇒加太 D51759牽引~貨物列車~D51後部補機付き  関西本線は、名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経て、大阪市内のJR難波駅を結ぶ全長174.9km主要幹線です。 この関西本線にはD51やC58が活躍していましたが、昭和48年に無煙化され、その後昭和54年には名古屋駅~八田駅間が、昭和57年に八田駅~亀山駅間が電化。 昭和63年には加茂駅~木津駅間電化され、亀山駅~加茂駅間が非電化で、JR化後は亀山駅~木津駅間の貨物営業も廃止され、現在、亀山駅~加茂駅間は気動車によるワンマン運転が行われています。 関西本線の亀山駅から柘植駅間には、有名な加太越えと言う峠がありました。 峠のサミットには加太トンネルがあり、このトンネルを境に、三重県と奈良県の県境になっています。 加太駅からサミットの加太トンネルには、連続25‰の上り勾配が続く難所でした。 この峠を越える貨物列車には、後部に補機を付けて走る列車もあり、SLファンには大変な有名でした。 ③  関西本線 加太駅⇒加太の大築堤⇒中在家信  D51940牽引~貨物列車~D51後補機付 関西本線の加太駅~柘植駅間は峠を越える区間で、一年を通して、天候の移り変わりが激しく、冬場は雪も降り積雪もありますが、春の時期は雨の降る日が多く、この日の撮影もあいにくの雨模様です。 雨の日の撮影は大変ですが、気温や湿度が低く、SLから排出される煙や、ブラスト音は迫力満点です。 ここでは、加太駅~柘植駅間の板屋付近より、500m程進んだ、加太の大築堤手前の直線区間で撮影しています。。 この日、午後の下り貨物列車は、定数一杯の貨車を、D51が後部補機を従え、満身の走りを見せてくれました。 ④ 関西本線  加太駅⇒加太の大築堤⇒中在家信  D51759牽引~貨物列車~D51後補機付 加太築堤 関西本線を走るD51のハイライトは、やはり加太駅と柘植駅間にある加太の大築堤です。 ここの撮影地ポイントは多くの撮り鉄ファンが訪れ、沢山の絶景写真が公表されています。 この築堤には、加太駅前から、線路に並行して走る国道25号線を、柘植方面に3.5Km進んだ地点です。 この先国道25号線は、加太の築堤の下を潜り、線路から外れて峠を越え、柘植駅の手前で再び関西本線と並走します。 この築堤の柘植寄りにお立ち台があり、スケールの大きい写真が撮れる所として、撮り鉄ファンの皆さんは、色んなアングルでの撮影を試みられていました。 こちらもあいにくの雨の中、D51が後部補機を従え、大築堤の晴れ舞台を2台のD51が驀進します。 ⑤ 関西本線 中在家信号所 D51253~下り貨物列車~D51後部補機付き・D51単機牽引 上り貨物列車 交換風景 関西本線加太駅~柘植駅間は8.9Kmあり、そしてサミットの加太トンネルを境に、両方向から連続25‰の勾配が続きます。 駅間の距離も長く、列車の本数も増えた昭和3年、ほぼ中間地点に中在家信号場が開設されました。 この信号所は25‰の勾配の途中にあり、列車交換のため、どちらかの列車が、引き上げ線に入った後、再出発する際に、勾配のない平坦線を作った、スイッチバック構造になりました。 この中在家信号所は列車交換のための信号所で、乗客扱いをしないのですが、SLブームの前は、下車することが可能でした。 ここでは、下り補機付貨物列車が先に信号所に到着。上り貨物列車の到着を待つため、信号所の手前で停車。 柘植からの上り貨物列車が遅れて到着。スイッチバックの上り引き上げ線に進入します。 その後、信号待ちをしていた、下りD51補機付貨物列車は、汽笛も高らかに、25‰勾配の途中から発車。 信号所の通過線を渡り、この先の加太トンネルに突進します。 後部補機のD51が、かなりの力で押し上げているのが、煙の色で感じられます。 既にこの時代は関西本線に並行して、名阪国道が開通。 この区間の名阪国道も急な勾配が続くため、静かな山並みに、車やトラックのエンジンを響き渡ります。 ⑥ 小浜線 東舞鶴⇒松尾寺 本務機C58365~後補機C1251 貨物列車 小浜線の東舞鶴駅~松尾寺駅間は、線内で一番駅間距離が長く6.1km離れています。 また松尾寺駅の先に県境の峠があり、東舞鶴駅から峠までは連続のぼり勾配が続きます。 ここでは西舞鶴から敦賀に向かうC58牽引貨物列車と、松尾寺から日本板硝子舞鶴工場専用線に入る貨物列車を、C12が後補機となって後押しをします。 松尾寺からは前寄りの貨物を、先頭のC58が牽引して敦賀まで参ります。 後寄りの貨物は、日本板硝子舞鶴工場専用線にC12がバック運転で入ります。 ⑦ 播但線 福崎駅 C11177牽引 1627回送列車 C11後部補機付き 播但線にはC57とC11が運用されていました。 C57は播但線の全線を走っていましたが、C11は姫路駅~寺前駅間の平坦区間を担当していました。 C11は姫路駅方面に向かう上り列車が8本、寺前駅方面に向かう下り列車は5本運転されていました。 上り列車が多いのは、姫路駅に向かう朝の通勤輸送の為で、下りは回送列車が別にありました。 ここでは、下りの1627列車は、客車10両の前後にC11を連結して、寺前駅までの回送列車でした。 そして、寺前駅で客車を5両に分割、2台のC11が別々の通勤列車となり、姫路駅まで折り返す運用でした。 ⑧ 伯備線 布原信号所⇒備中神代 D51256牽引~下り貨物列車~逆D51665後補機 伯備線を走るD51の牽引定数は330tまでで、幹線でもある伯備線の貨物列車は、牽引定数は620tにもなる長い編成の貨物列車があり、前部又は後部に補機が付きました。 岡山操車場から新見駅まで、D51前重連でやってきた貨物列車は、新見駅からは逆向きで後部に連結、逆後補機として生山駅まで補機仕様にあたります。 これは、生山駅に転車台がなく、再び上り貨物列車の補機仕業に就くためです。 新見への戻りの仕業では、米子からやってくるD51の、前補機または次位補機となりました。 布原信号所は、深い山の谷間にある信号所で、信号所を見渡せる県道が、山の中腹を縦走しています。 その県道からと、沿線からの映像を取り混ぜて、ご覧いただきます。 現在は県道沿いに草木が茂り、伯備線を見下ろすことが出来なくなりました。 ⑨ 筑豊本線 筑前山家⇒冷水峠 D511155~逆向きD6032後部補機付き 上り旅客列車 今度は冷水峠の筑前山家側で、筑前山家駅から徒歩で約4Kmの距離でした。 こちらも冷水峠の有名な撮影地ポイントで、R200-300の急カーブや25‰の急勾配が続きます。 山肌に薄っすらと陽があたり始めた早朝。 新聞配達員さんのバイク音が響き渡る中、D511155が牽く上り若松方面の旅客列車がやってきます。 後部には下り補機仕様のD60が、回送で逆向きに連結され峠を登ってきました。 R200-300の急カーブが続くので、車輪とレールの間で、甲高いきしみ音が聞かれます。 まだ気温が低いのか、真っ白な煙と蒸気を残し、汽笛とともに冷水峠に吸い込まれて行きました。 ⑩ 田川線 内田信号所⇒油須原駅 前9600~後9600補機付 石灰石専用列車 田川線は、筑豊炭田で採掘された石炭を、苅田港へ運搬するために、敷設された路線です。 黒ダイヤと言われていた石炭は、昭和48年に露天掘りの貝島炭坑を除いて全て消え、高度成長の中、時代の流れとともに、白いダイヤと言われた、石灰石に注目が集まり始めました。 後藤寺線船尾駅近くの、旧日本セメント香春工場では、セメントの原料となる、石灰石を採掘、平成元年まで後藤寺から苅田港まで、石灰石専用列車での鉄道輸送が行われました。 内田信号所側から油須原に向け、10.0‰(パーミル)の長い上り勾配が続きます。 上りの石灰石専用列車は、石灰石を満載するので、牽引定数が多く、後藤寺から補機が付きました。

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