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小池陽人の法話:つながっているからこその自己決定 2 года назад


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小池陽人の法話:つながっているからこその自己決定

先日、長田区ろっけん道にある、介護施設「はっぴーの家」の ある入居者の方の葬儀で導師を勤めさせていただきました。 以前、随想録でお話させていただいた方とは、また別の方です。 故人様(以後Tさん)は、約一か月前に、病院で余命宣告を受けられます。 病院でそのまま入院を勧められますが、コロナ感染予防もあり、ひとたび入院すれば、 面会することはできなくなってしまいます。 ご本人の意志を確認すると「入院はせずに、住み慣れた、はっぴーの家に戻りたい」とおっしゃったそうです。ご家族も同意見でした。残された限られた時間を、家族やはっぴーの家の仲間と共に大切に過ごしたいという思いでした。 余命宣告を受けた直後、病院の入り口で息子さんに車いすをおしてもらいながら撮られた写真で、Tさんは笑顔でピースをされていました。何故Tさんは、あのように笑えたのだろうか。不思議に思い、はっぴーの家の代表の首藤さんとご家族にTさんの昔からのお話やはっぴーの家に入居してからのお話をお聞きしました。 もともと、Tさんは、破天荒な方で、波乱万丈な人生を送られてきたそうです。 奥さんは、大変苦労したとおっしゃっておられました。 退職してからも、大好きなお酒を飲み続け、飲みすぎで神経障害をおこし、 半身不随で身動きがとれないほどになってしまったそうです。 そのような状況で、はっぴーの家に四年前に入居されたそうです。 その時、「要介護四」というかなり重い状態でした。 入居されてきた時に、首藤さんはTさんに施設の中でどのように過ごしたいか聞いたそうです。Tさんの答えは「リハビリはしたくない。酒を飲めたらそれでいい」だったそうです。 なんと首藤さんは、その願いを聞き入れます。Tさんのお話を聞いて、Tさんがお酒だけでなく、人と関わることや、楽しい場が大好きなのだということを感じ取った首藤さんは、お酒を禁じることなく、スタッフの方がTさんをサポートしながら、楽しい場を提供していきました。 いや、日常的に入居者以外の地域の様々な方(子供から大人、外国人まで)がたくさん集まる賑やかなはっぴーの家のあり方が、Tさんにとって、そのまま楽しい場、居心地の良い場となっていったのかもしれません。 いつしか、明るくサービス精神旺盛なTさんは、人気者になっていて、Tさんの周りはいつも笑顔で溢れていました。そのようなはっぴーの家での日々が、再びTさんに命を吹き込むこととなり、自分で立って歩くどころか、地域の盆踊り大会では、誰よりも機敏な動きで踊るまでに回復されていったのです。 この様なお話をお聞きしていくと、余命宣告を受けた後の、あの笑顔のピースサインの意味が少しわかるような気がしたのです。最期まではっぴーの家で過ごせることに、少なからず喜びと安心感があったのだと想像します。 そして、余命宣告を受けてから、首藤さんの本領が発揮されます。Tさん本人にとっても、ご家族にとっても、そして自分たち仲間たちにとっても、最高の看取りをしようと考えられ、まずTさんご本人に「最期の時間をどのように過ごしたいですか」と聞いたそうです。Tさんの答えは、「お酒が飲みたい」「できるだけこれまでのような日常を送りたい」とおっしゃったと言います。首藤さんはおっしゃいます。それは、最低限の望みである。言葉にならないTさんの思いを受け取り、Tさんの想像を超えるような、最高の時間を作らなければならない。そのような思いで、自問自答を繰り返しながら、一つ一つ行動に移されました。首藤さんの呼びかけで、連日Tさんに会いに来る人は、後を絶ちませんでした。お酒を酌み交わしながら、Tさんに質問や人生相談をするのです。ある若い新人の介護士さんがTさんに「根性はどうやったらつきますか」と相談します。するとTさんは「己を信じることしかあらへん。考え過ぎとるんちゃうか。先のことを考えてもしょうがない。今を懸命に生きるんや。」と答えたそうです。 残り僅かの余命のTさんを、周りがケアするというよりも、周りの皆が、Tさんから最後の教えをいただき、そして励まされていたように感じました。首藤さんは「死別、看取りの時間ほど、多くの学びを得る時はないのではないか。同じような言葉でも、元気な人が言うのと、今のTさんが言うのとでは、その重みが違う。余命わずかの人が伝えるメッセージの重さを感じ、そこから多くのことを学ぶことができるのだと思う。」とおっしゃっておられました。 余命宣告をうけてから二十日で、Tさんは旅立ちました。Tさんの遺言は、「生前のように、明るく楽しく、皆で見送ってほしい」という言葉でした。首藤さんをはじめ、ご遺族、そしてはっぴーの家に関わるたくさんの方々が集まり、手作りの祭壇の前で、気持ちのこもった、Tさんの人柄のように明るい通夜、葬儀となりました。 Tさんの看取り、お見送りに関わらせていただき、思い出した言葉があります。べてるの家の向谷地生良さんの著書「安心して絶望できる人生」にある言葉です。向谷地さんは、長年精神障害者の方と関わって来られました。そのような中で「自己決定」について言及されています。 「自己決定の視点は、いまや、あらゆる福祉サービスやケアの大原則として、広く普及しています。その自己決定論を背景として専門家が当事者とかわす言葉の中に「あなたはどうしたいの・・」という問いかけが、あらゆる場面で見受けられるようになりました。 しかし、その問いを投げかけられた当事者の多くは「自分が決めたのだから、その結果責任はあなた自身が背負うことになります」という背後にあるメッセージに緊張感を覚え、恐怖を感じると言います。 実は、浦川(べてるの家)では全く正反対のことが、当事者性の原則として受け継がれてきました。それは「自分のことは、自分だけで決めない」ということで、いくら「自己決定」といっても、人とのつながりを失い、孤立と孤独の中での「自己決定」は、危ういという経験則がうみだしたものです。それは、自分自身が最も力を発揮できるのは、自分の無力さを受け入れ、さまざまなこだわりや捉われの気持ちから解放され、自分自身と人との穏やかな信頼をとりもどすことができたときだということを、知っているからです。自己決定とは、「自分だけで決めない」という、人との繋がりの確かさがあってこそ、成り立つ態度ということもできます。」 この言葉は、まさにはっぴーの家のあり方にもあてはまると感じました。自分のことを、自分だけで決めない。首藤さんは、Tさんの意志をしっかりと受け止めながらも、その意志決定の結果も一緒に受け止める覚悟をもって、最後まで伴走されました。だからこそ、Tさんも安心して、自分の意志を伝えることができたのでしょう。孤独ではないこと、周りの人と信頼関係があることが、いかに、大切であるかを再認識したできごとでした。 【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】 毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。 【須磨寺オフィシャルサイト】 http://www.sumadera.or.jp 【須磨寺 不動護摩供のご紹介】    • 須磨寺 不動護摩供のご紹介   【須磨寺「須磨の火祭り ~柴燈大護摩供 火生三昧火渡り修行~」】    • 【須磨の火祭り ~柴燈大護摩供 火生三昧火渡り修行~】大本山 須磨寺   【須磨寺:四万六千日 みあかり観音 灯明会】    • 須磨寺:四万六千日 みあかり観音 灯明会   【須磨寺音楽法要祭「夜音2017」】    • 【須磨夜音2017 Official Movie ~真言宗と天台宗 平安の...   【経木供養所「八角堂」落慶法要:大本山 須磨寺】    • 経木供養所「八角堂」落慶法要:大本山 須磨寺   ■楽曲提供:小馬崎達也 Official site:http://www.mt8.ne.jp/~pangaea/ Youtube Channnel:   / pangaeamusicfarm   #自己決定#はっぴーの家#べてるの家#須磨寺 #お大師様 #弘法大師 #縁日 #仏教 #法話 #須磨 #お釈迦様 #釈迦 #空海 #教え #神戸 #japan #kobe #suma #temple #tera #sumadera #hyogo #buddha #小馬崎達也

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