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2024年9月14日「終末・リバイバル宣教」 13 дней назад


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2024年9月14日「終末・リバイバル宣教」

説教題; 「求めよさらば与えられん」 聖書箇所: マタイ7章7-11節 7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。 8だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。 9あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。 10魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。 11このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。 (導入) クリスチャンでない友人が、こんなことを言った。自分の目標を壁に貼っていつも見ていると、それがかなえられることがよくある。少し驚いた。実は韓国のチョウ・ヨンギ先生が言っている事である。(チョウ・ヨンギ先生の場合は、その貼ってあるイメージが動き出す時、未来を掴み取った、と言われている)しかし、いずれにしても、友人の言ったのは、一般恩恵としての信仰の世界と見る事が出来る。 本日は祈りについて学ぶ。 (背景) 今日からの中区分は、以前と反対で、イエス様が奨める教えがまとめられている。 (本文) V7;「求めなさい・・・探しなさい・・・たたきなさい」⇒いわゆる、祈りの3つのプロセスである。この所を、私の証をとおして説明させていただく。 【私の祈り前提】 私の祈りの内容は、対人関係の事が多くを占める。本当に弱っている人は勿論祈りの対象である。一方、教会(中には教団も含まれる)の罪や悪についての祈りである。何故、信仰者にそんな祈りが多用されるかと思われるかもしれないが、ダビデの詩篇見て頂くと分かるが、南北を統一し、周辺諸国を支配下に置いた偉大なダビデでさえ、その祈りの内容は、日常的で、卑近な祈りである。即ち、罪人、悪に対する神の取り扱い、裁きである。結局、この事は、自分の周りから、聖・義を確立する事、という事が出来る。そしてこれが、ダビデの政治の発展統一へと向かわせたことは間違いない。小さなことに忠実なものは大きなこと事にも忠実です。(ルカ16:10)要は、自分の近くの周りから聖・義を構築する事の必要性である。 【祈りの実際】 「求めなさい」⇒祈る内容は大切である。神のみ心に沿った祈りである事。例;正月神社での祈り 「探しなさい」⇒祈りは継続だと感じる言葉である。以前、聖霊のバプテスマを語る中で、この事は一生に一度の事である。そんなに多い経験でない。それが、こんなにも重要視されるのは、他でもない、祈りの中で疑似体験をするからである。私の場合、力の天使が出てくる。(この力の天使の詳細は語れないが、人それぞれではないかと感じる。) この力の天使が出てくると、未来を掴んだ、となる。心に平安がやってくる。多くは、対人関係のことが多いが、最近は健康のことで祈らされている。問題が深い場合、この力の天使は簡単に表れない。(それは、人生の節目の、更なる恵みを与えようとしている事が多い。) 正に、探し求めている状態である。 「たたきなさい」⇒ダビデの詩篇の中で、感情むき出しにして祈っている箇所が何か所もある。これはダビデが理不尽なパワハラ、若しくは裏切りにあった時かもしれない。人は、激しい感情に見舞われる。自分が正しいと確信があるからなおさらである。(詩篇7:1-6) この激しい祈りこそ、「たたけ!」である。神は、この激しくノックする時、その扉を開かれる。 V8;「・・・受け・・・見出し・・・開かれます」⇒執拗に祈り求める者に対して、神はほっておかない。以下9,10節に具体的に説明がある。 V9,10;「ぱん・・・石」⇒ユダヤのパンは固いそうだ。(フランスパンに似ている?)石と、パンの共通項は固い。しかし神は、祈り求める者に石でなくパンを与えて下さるのは当たり前。 「魚・・・蛇」⇒魚と蛇の共通項は、考えれないが、この魚はウナギ(レビ記11章汚れた動物のリストにある魚)ではないか、と言う聖書学者がいる。ウナギは魚の一種と考えると共通項は生まれる。 神の、信仰者(子ども)に対する親心が、つたわってくる。 V11;「あなたがた」⇒この構文を明確にすると、あなた方は、読者。動詞は「知っている。」そして、何を知っているかと言うと、「悪い親でも、子供には良いものを与えたい」この事を知るでしょう。確かに現代悪者は、卑近なところでは詐欺をする者たちをすぐ想像するが、彼らにも子供がいるだろう。こんな親でもクリスマスになれば子供にプレゼントを買ってくるのではないだろうか。 「良いもの」⇒これは神が与える聖霊。人間の究極的な喜びは神と交わることであるが、これも聖霊のなせる業である。一方、私たちに今必要な喜びを与えるその発信源は聖霊である。 (適用) 本日は私の証を通して、祈りの3つのプロセスについて見てきましたが、非常に日常的な視点でお証した。しかし、神の国が建てられるのはこの身近なところから始める必要があるだろう。 一方、チョウ・ヨンギ先生の祈りは、韓国の民族愛が至る所で見受けられる。例;若い時に見た本  この祈りが、あの大きな教へと成長していった。その祈りは具体的でビジョンに満ちている。それは韓国の社会が背景となっている。いわゆる節目の時であった。 現在、日本は色々なところで体制の変化が起きている。これは、神が日本に近づいている事と思う。この様な節目の時、このためのクリスチャンの祈りがあるのではないだろうか。勿論、福音派も、この変化の時を迎えなければならない。日本のリバイバルと、信仰・教会の復興を、本日のプロセスを用いて、求めようではありませんか。

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