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沖縄を守護する8つの聖地:琉球八社 (波上宮、沖宮、天久宮、安里八幡宮、識名宮、金武宮、普天間宮、末吉宮) 1 год назад


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沖縄を守護する8つの聖地:琉球八社 (波上宮、沖宮、天久宮、安里八幡宮、識名宮、金武宮、普天間宮、末吉宮)

▼チャプターリスト(目次) 0:00 オープニング 0:46 波上宮 3:20 沖宮 4:30 天久宮 5:42 安里八幡宮 6:29 識名宮 7:26 金武宮 8:44 普天間宮 9:48 末吉宮 どうも、管理人のヒロリンです。 今回は沖縄県に昔存在した琉球王国において、王府から特別の扱いを受けた8つの神社「琉球八社」を紹介します。 琉球八社は沖縄本島に鎮座する波上宮、沖宮、識名宮、普天間宮、末吉宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮の8つの神社の総称。 沖縄県の聖地というと、世界遺産に指定されている斎場御嶽のように、神社や寺院ではなく、「御嶽信仰」を想像しがちですが、沖縄にも寺院や神社があるんです。琉球時代に臨済宗と真言宗の二つの仏教が伝えられ、特に臨済宗が世に広まる中、真言宗寺院にも王府より特別待遇が8つの寺に与えられ、それらの寺に併置されていた8つの神社を「琉球八社」と呼ぶようになりました。 それではそんな琉球八社を一つ一つ解説していきたいと思います。 ①波上宮(0:46~) 那覇空港からほど近い、沖縄の美しい海際に鎮座する波上宮。 同社が鎮座する場所は全国的に見てもなかなか類を見ない海岸沿いの崖の上。この崖は波上宮が創建される前から聖地だったといわれている場所で、琉球の人々は崖の上から海に向かって豊漁や豊作を祈ったとされています。 波上宮の社伝によると、波上宮の建立のきっかけは霊石に導かれたことであるとされています。曰く、崎山に釣りを好む崎山里主というものが住んでいた。ある日、いつものように渚にいくと、後ろより呼ぶ声がある。振り向いたが人の姿はなく、木に似た石があるばかりであった。 崎山里主がその石を高いところに置いて祈ってみると、その日の釣果は素晴らしいものだった。夜になると石は光り、崎山里主は霊石だと確信した。しかし何事かと思った神々が石を奪いに来たため、崎山里主は霊石を持って逃げた。そして現在の波上宮が鎮座する場所にたどり着いたとき、霊石は自分が熊野権現(熊野三山に祀られる神々)であること、この地に社を建てれば琉球を守護することを伝えた。 この神託を国王に報告し、社を建てて霊石を祀ったのが波上宮の始まり。 波上宮は沖縄らしい造りの社殿が特徴。赤瓦とその隙間を埋める白い漆喰の対比が際立つ拝殿、翼廊に対して、本殿と幣殿は銅板葺で仕上げられていて、琉球らしさと、本土で見られるような代表的な神道の建物の組み合わせが見事。神社の建築物は木の皮や金属で屋根を葺くことが多いのですが、沖縄は木や金属が貴重だったため、戦前の頃から瓦が発達。同社の社殿でもそれが活かされているのです。 ②沖宮(3:20~) 琉球八社の中では最初に創建された神社。 社伝によると、ある日那覇港の海中から毎夜、光が見えるようになり、国王の命で綱を用いて海を調べたところ、枯木が見つかった。 その枯木を引き上げた後に光がおさまったため、この枯木こそ熊野権現の霊木とし、祀ったのが沖宮の始まり。 元々は霊木を引き上げた那覇港に鎮座していたのですが、明治41年に那覇港の整備に伴って、同じく琉球八社のうちの一社である安里八幡宮の境内に遷座。沖宮の社殿は戦前の頃に琉球神道における貴重な建築物であるとして国宝に指定されていましたが、沖縄戦の影響で惜しくも焼失。 第二次世界大戦後、「霊木の根本は天燈山である」という神託があって、現在地である奥武台公園内の同山の麓に遷座しました。那覇空港から国際通りへと行く「ゆいレール」に乗ると奥武台公園付近で車窓から小高い山を見ることが出来ます。その麓に鎮座しているのが沖宮です。 天燈山は御嶽としても知られていて、頂上には拝所も存在しています。 ③天久宮(4:30~) 那覇市役所の北2㎞ほど、泊高校と聖現寺の間に挟まれて鎮座するのが天久宮。 西暦1460年頃、銘苅(めかる)村に住む銘苅翁子という人が、天久村の洞窟で突然気高い女人と法師に出会い、これを首里王府に奏上した。首里王府が社殿を造営すると「我は熊野権現なり、衆生の利益のために顕現した。女人は国の守護神弁財天なり」というご神託があり、これが天久宮の創建のきっかけです。 天久宮は非常に独特の構造をとっていて、駐車場の前に御嶽、駐車場からの階段を降りたところに本殿と拝殿、そしてそこからまた階段を降りたところに御嶽があるという3層構造になっています。つまり、二つの御嶽にサンドイッチされるような形で本殿が存在しているのです。 このような信仰形態は全国を旅した僕も初めてみる、非常に珍しい場所だと思いました。 ④安里八幡宮(5:42~) 琉球八社のうち七社は熊野権現を祀る神社ですが、安里八幡宮のみ八幡大神を祀っています。 西暦1466年、第6代琉球国王・尚徳王が喜界島に侵攻するために軍を率いて出発する際、城の麓に水鳥がいるのを発見した。王が矢を地に立て、「我が軍が有利であるならば速やかに射落とせ」と言ってもう一本の矢を放つと、水鳥を射止めた。王が船を出すと、今度は海上に小鐘が浮いているのが見える。船の傍らから離れることはないが、中々取れない。 そこで王が「この戦に利があるなら手に入れるべし。帰国後は八幡大菩薩を崇めよう」と誓って右手を出すと小鐘が手に入った。帰国後、王は矢を立てた場所に安里八幡宮を建立し、弓矢と小鐘を奉納したのが安里八幡宮の創建です。 明治末ごろまでは美麗な社殿があったのですが、その後荒廃が進み、沖縄戦で全焼。現在の社殿は1996年に再建されたもので、規模としては小さい社ですが、その昔琉球国王の武運を占った場所と考えると、沖縄を代表する聖地ともいえるかもしれませんね。 ⑤識名宮(6:29~) 世界遺産に指定されている識名園から徒歩8分ほどの場所に鎮座している神社。 社伝によると識名村の近くの洞窟から夜な夜な光が発せられ、大阿母志良礼(おおあもしられ)という高級女神官が見に行くと、洞内に賓頭盧(びんずる:釈迦仏の弟子で十六羅漢の一人。沖縄では霊石信仰と習合する)霊石が1体安置されていた。 その霊石に、大阿母志良礼が願い事をお祈りすると叶えてくれたため、大阿母志良礼は第5代琉球国王・尚元王に報告。尚元王の長男は病にかかっていたが、この賓頭盧に祈ると病が平癒した。 この奇跡から、尚元王は識名宮を創建し、大阿母志良礼に同社を守らせたといいます。 かつては賓頭盧があった洞窟の中に社がありましたが、洞窟内にあったため、湿気がひどくて腐朽してしまったため、1680年に洞外に移築して、瓦葺の社殿を建てました。この社殿は沖縄戦で焼失してしまいましたが、1968年に復興した社殿が現在でも残っています。 識名宮の本殿裏には識名宮創建のきっかけになった賓頭盧がある洞窟があり、月に2回拝観できる機会があります。 ⑥金武宮(7:26~) 金武宮は琉球八社の中でも非常に独特の社です。社名の通り、金武宮は沖縄本島のほぼ真ん中に位置する金武町にある神社。 金武観音寺という寺院の境内にある洞窟内に、金武権現として祀られています。創建当初より現在にいたるまで社殿が存在せず、洞穴内にある鍾乳洞などを拝む自然崇拝の形をとっています。 この洞穴は日秀上人(1503~1577)が補陀落渡海(ふだらくとかい)という捨て身行で琉球に漂着した後、身を寄せていた洞穴で、「日秀洞」と呼ばれており、深さは約20m、全長は270mにも及ぶ広大なもの。 日秀上人とこの鍾乳洞に関して以下のような伝説があります。 和歌山から唐へ向う途中、金武町に流れ着いた日秀上人は、農業指導などを行って村人たちから神人(かみんちゅ)と慕われていた。 ある夜、村に美しい青年が現われ、村で一番美しい娘の家の前で、美しい声で娘を誘い出した。洞窟の前で、青年は大蛇に姿を変え、娘に巻きついて、洞窟の中へ消えていった。昔から、この洞窟には大蛇が住み、若い娘の生肝を食っていた。そのため村人は、恐怖のため家に閉じ籠もる生活を強いられるようになった。 そこで、日秀上人が洞窟の前で呪文を唱え、大蛇を洞窟に封印し、村人を恐怖から開放した。 このようなエピソードからも、日秀洞は人を寄せ付けない、何か圧倒的なパワーがあると考えられ、洞穴自体が聖地とされ、金武宮として祀られてきたのです。 ちなみに、この金武宮のある洞穴は滅茶苦茶暗く、撮影の際はISO感度を12000以上に上げないと撮影できなかったほど。暗所撮影に強いSONYのα7SIIIでもカラーノイズが入ってしまうほどの暗さですので、参拝の際は十分気を付けて下さい。 ⑦普天間宮(8:44~) 米軍の普天間基地の近くにある普天間宮。この普天間宮も金武宮や識名宮と同様に、鍾乳洞に神様の存在を見つけたことがきっかけで創建された社。 社伝によると、中城村に貧しい女性がおり、普天間宮に毎日参拝していると、老翁が現れて「荷物を預かって欲しい」といい、女性に包みを渡したが、老翁は戻ってこない。 その後、女性が荷物を返すために老翁に会わせて欲しいと普天間宮で祈ると、女性の夢に老翁が現れて「我は熊野権現なり」と名乗り、「汝は善なり、その荷物を賜う」といった。女性が包みを開けると中身は黄金であり、女性の苦難を救ったなど、様々な神威を示した社として知られています。 ⑧末吉宮(9:48~) 琉球八社の中で個人的に一番好きなのが末吉宮。那覇市の末吉公園から山道を登り、ほぼ頂上に懸造りの拝殿が見えてきます。この懸造りの拝殿は大変見事な造りでこれほどの建築物が沖縄で見られるとは驚きです。 懸造りの拝殿に続く石の階段を「磴道(とうどう)」といい、 その磴道の下には石造りの隧道(トンネル)。このトンネルはこの世とあの世とを結ぶかのような神秘的な光景を作りだしていて、これを見るだけでも参拝の価値あり。 社伝によると琉球王国の第6代国王・尚泰久王の時代、天界寺の前住職であった鶴翁和尚が壮年の頃に日本で修行していた際、熊野の方に向かって「もし、私が学道の修行を成就したなら、琉球王国へ帰国して本意の後、熊野へ参詣致します」と誓って言った。 やがて学道修行は成就し、帰国して住持となったことから、誓願を果たすべく尚泰久王に暇請いを願い出たが、王はこれを許さなかった。 鶴翁和尚は頻りに暇請いをおこなったが、ある時、夢に人が現れ、「師よ、志を遂げたいと欲するなら、是より北山に向かって大きな声で呼びなさい。応ずる所に霊験があるだろう。そこが即ち居所である。私は熊野権現である」と言った。 夢より覚め、声を上げると前の山に響くところがあった。そこを尋ねたところ、崎嶇嶃岩(きくせんがん)としてあたかも霊地、人跡およばざる場所であった。そこに鬼面が一つあり、すなわち霊験であるとこれを拝んだ。このことを王殿に奏したところ、王もまた霊夢を見たことから、この出来事が意味なきことではないだろうと大臣等に詔し、この地に末吉宮を建立したとされています。 参拝すれば分かりますが、末吉宮は人を寄せ付けないほどの強いパワーがある聖地で、ここが沖縄最強のパワースポットではないかとも思うほどです。 琉球八社の説明を駆け足でさせていただきましたが、琉球八社はどれも素晴らしい社ですので、動画で興味を持っていただいた方は是非参拝してみて下さい。

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