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青森県にある鄙びた温泉。旧奥州街道に沿った古くからの温泉。 青森市浅虫温泉は青森湾の東岸に位置し、夏泊半島の西側の付根にある。 浅虫村の江戸期は弘前藩領。村高は「正保高帳」18石余」、「寛文高辻帳」18石余、「貞亨4年検地水帳」87石余、「寛保高辻帳」18石余、「天保郷帳」136石余、「旧高旧領」150石余。 浅虫村の浅虫温泉は奥州街道に沿った古来からの温泉で、弘前藩領内温泉18ヶ所の一つで、藩主の御休所(御仮屋・御陣屋)が設けられていた。江戸後期の旅行作家「古川古松軒」の「東遊雑記」にも「海浜にのぞみて温泉あり、至ての熱湯に湯つぼより流れ出る湯、川々へ落て湯気の立ち上がること煙のごとし」と記されている。 明治初年の家数77。村況は「田畑少く、且菲确にして作毛薄し、村中温泉あり、浴客を待て口を糊し、或いはまた北蝦夷に渡て傭して家産を資く……当村は湯治場なれは四方より集り浴する者多く、陸運会社なけれとも常に継立多く小店あり」と、湯治客と蝦夷地への出稼ぎの多いことを記している。 明治12年の「共武政表」によると家数83・人数507。明治24年の家数82・人数551。 明治9年頃には鄙びた湯治場で温泉客舎が18軒あったという。明治24年に日本鉄道(現JR東北本線)が開通し、浅虫駅が開設されると発展が始まり、明治40年には家数190・人数1,100に激増した。旅館7・温泉客舎15・共同浴場2・商店33にもなった。 今、浅虫温泉を訪ねると、旧奥州街道に沿って、大型の観光旅館が建ち、旧JRの青い森鉄道の線路より山側に古くからの温泉旅館街が展開する。古い町並と思われるところは無かったが、一ヶ所だけ浅虫川の近くで共同浴場や足湯のあるところ近くに、2軒の古い形式の家屋が並んでいたので「ほぉ……」とした