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KATO 475系(457系) 急行立山

この動画は1975年頃の475系電車による急行「立山」の映像です。グリーン車サロ455 2両と半室ビュッフェ車サハシ451を含めた9両編成と普通車のみの付属編成3両編成の合計12両編成で運行されていた全盛期の姿を再現しています。  国鉄457系電車は、国鉄が設計・製造した交直両用急行形電車です。  457系のほかに同じ用途で設計・製造された451系、453系、455系、471系、473系、475系の各系列がありますが、同一のグループとして括られ、その集大成版である457系が本グループの総称とされています。  本グループは主電動機出力・交流周波数差異・抑速ブレーキの有無により7系列22形式が新製されました。ほぼ同時期に製造された交直流特急形電車では481系・483系・485系・489系が485系、581系・583系が583系といずれも交流50・60 Hz両用とした系列名で総称されていますが、本グループでは電動車がMT54形主電動機ならびに抑速ブレーキ搭載する交流60 Hz対応475系が53ユニット、交流50 Hz対応455系が51ユニット製造される一方で、集大成とされる交流50・60 Hz両用とした457系では19ユニットに製造が留まりました。このような経緯から系列を特定しない交直流急行形電車あるいは多数派である455系・475系の名称が広く使用されています。  1958年(昭和33年)に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席をボックスシートとしたことで客車を上回る居住性を実現し、利用者からは好評でした。また、1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を地方線区中心に推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となりました。このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系です。本グループは、増備過程での主電動機出力の変更(100kw:451系・471系、120kw:453系・473系)や勾配抑速ブレーキの有無(有455系・475系)や、さらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分かれています。(50Hz:451系・453系・455系、60Hz:471系・473系・475系)  本系列は東北地方や北陸、九州といった交流電化地域を中心に配備され、主に東京都区部や大阪市とを結ぶ急行列車の運用に就いていました。しかし、その後、特急への格上げや新幹線の延伸、快速列車への格下げなどで急行列車自体が減少し、1985年(昭和60年)3月改正までに全ての車両が急行運用を終了しました。以降は前述した地域の普通列車や快速列車として活躍し、一部は車体更新を受け近郊型の413系・717系へ改造された車両も存在します。  分割民営化時には、JR東日本、JR西日本、JR九州に継承され普通列車として運用されていましたが、2000年代以降は車両老朽化に伴う新車への置換えが進められ、廃車が相次ぎました。  編成単位では最後まで運用されたJR西日本でも2015年3月14日ダイヤ改正で営業運転を終了しており、2021年6月時点では413系と編成を組成したクハ455-702が保留車扱いながらJR西日本で、同年3月15日付でえちごトキめき鉄道に譲渡されたクハ455-701の2両のみが車籍を有します。えちごトキめき鉄道は2022年、重要部検査に必要な費用(2500万円)の一部をクラウドファンディングで募って目標額(500万円)を超えたことから、2023年1月4日~3月中旬を運休として検査を実施し、その後も現役を継続する予定です。  前述のように急行運用からいち早く離脱し、近郊型への改造が推進されたこともあり、他の急行形車両である165系電車・キハ58系で改造落成した座席改良車はクロハ455形1両に留まり、ジョイフルトレインへの改造もありませんでした。  475系電車は、473系をベースに勾配抑速ブレーキを搭載した系列で、北陸地区増発用として1965年(昭和40年)から製造されました。165系の交直両用タイプに相当する形式グループで、本系列からは以下の変更を実施しました。  比較的勾配の多い地域で運用されることから主制御器を勾配発電抑速ブレーキを搭載するCS15B形。主抵抗器は容量増大したMR52A形。主抵抗器の容量増大による床下儀装スペースの都合からCPをM'車に移設。耐雪型のMH113A-C2000M形とし容量を増加。 引き続き電動車ユニットは商用周波数の違いから60 Hz用は475系(50 Hz用は455系)としました。  471・473系の増備車という一面もあったことから、抑速ブレーキを使用停止して併結を可能にすることを考慮し回路を別途新設する方法が採用されました。このため総括制御用ジャンパ連結器は451・453・471・473系グループのKE58形2基に対し、455・457・475系ではKE76形3基となったことから、制御車ならびに付随車は新形式とされましたが、451・471系同様に商用周波数の違いによる影響を受けないために455形とされました。  製造開始時に優等列車の冷房化が計画されていたこともあり、サロ455形は全車が新造冷房車。普通車はサハシ455形ビュフェ部を除き後期製造分から冷房装置搭載準備工事施工で落成しました。サハ455形ならびに電動車ユニットが457系で落成したクハ455-65以降は新造時から搭載となりました。  急行「立山」は上野~長岡~大阪間で運転されていた急行「北陸」が1956年(昭和31年)11月のダイヤ改正によって上野~福井間に短縮されたため、大阪方面への代替として運転を開始した列車です。  昭和20年代、北陸本線を代表する優等列車といえば、大阪〜青森間の「日本海」と大阪〜上野間の「北陸」でした。両列車とも戦前から運転されており、日本海側の東西を結ぶ基幹列車として輸送事情の悪かった昭和20年代をリードしてきました。「北陸」の場合、大阪〜上野間を東海道、北陸、信越、高崎の各線を経由するという、現在では考えられないような系統で運転されていましたが、昭和20年代は車両増備や列車増発へ割く予算に乏しく、その代わり1本の長距離列車を仕立ててさまざまな地域の需要を満たすダイヤが組まれていました。このため「北陸」は、首都圏と北陸圏の夜行需要と、北陸圏と関西圏の昼行需要の両方を満たす列車として運転されていました。しかし、1956年(昭和31年)11月19日改正では東海道本線の全線電化が達成され、全国的に輸送規模の拡大が図られました。急行「北陸」は、富山県内の時刻が早朝・深夜に偏っており、必ずしも対関西の昼行列車としては利用しやすいダイヤとはいえなかったことから、北陸本線を境に東西に系統分離されることになり、「北陸」の方は上野〜福井間の夜行列車として残存、対関西としては新たに大阪〜富山間に急行「立山」が設定されました。  急行「北陸」から「のれん分け」する形で登場した急行「立山」は1965年(昭和40年)に電車化されました。1970年(昭和45年)年7月15日からは下り「立山1・4号」と上り「立山2・3号」の付属編成が富山地方鉄道立山まで乗り入れるようになりました。湖西線開通後の1975年(昭和50年)3月のダイヤ改正では、特急「雷鳥」とともに湖西線経由となりました。しかし、その後の「雷鳥」の増発に伴って本数を減らしていき、1982年(昭和57年)11月のダイヤ改正で「雷鳥」に編入される形で定期運行がなくなりました。その後583系電車による夜行の臨時列車1往復のみとなっていましたが、それも1985年(昭和60年)3月に廃止されました。  国鉄時代における富山地方鉄道乗り入れの廃止理由は、急行の特急格上げと当時は短編成で走れる特急形が存在しなかったためでした。  列車名は、飛騨山脈(北アルプス)北部に位置している立山が由来となっています。

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