У нас вы можете посмотреть бесплатно 【第4回:般若心経に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2022年10月11日(火) или скачать в максимальном доступном качестве, которое было загружено на ютуб. Для скачивания выберите вариант из формы ниже:
Если кнопки скачивания не
загрузились
НАЖМИТЕ ЗДЕСЬ или обновите страницу
Если возникают проблемы со скачиванием, пожалуйста напишите в поддержку по адресу внизу
страницы.
Спасибо за использование сервиса savevideohd.ru
「建学の精神」である禅仏教による人格の陶冶をテーマに、「禅・仏教講座」として開設しています。 禅の世界をあらゆる角度から捉え感得するため総長、学長、仏教学科教員を中心に授業を展開し、その他、いす坐禅・読経など実践を行います。 「知識としての禅」から「感じとる禅」への転換をテーマとし、「自分だけにしかないいのちを生きる」ことを目標とした講義です。 ※新型コロナウイルスの感染の拡大にともない、花園大学は、ご来場の皆さまの健康と安全の確保、また感染拡大防止の観点から、今年度(2022年度)の「禅とこころ」は、公開講座として一般の方の聴講は、ご遠慮いただく事にいたしました。 なお、学生向けに配信している総長講義のみ、順次公開させていただきます。 ■講座動画の補足情報 ----------------------- 中村 元、紀野 一義『般若心経・金剛般若経』 (岩波文庫) 舍利子。是諸法空相。不生不滅不垢不淨不増不減。 是故空中無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。 無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死亦無老死盡。 舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。 無明もなく、また、無明の尽くることもなし。 乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。 シャーリプトラよ。 この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。 生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。 それゆえに、シャーリプトラよ、 実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。 (さとりもなければ、) 迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、) 迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。 禅文化研究所『般若心経』山田無文老師 盤珪禅師は、ここのところを次のように示しておられます。 「人間の本性というものは本来、鏡のように清浄なものじゃ。 鏡の中には何もない。物が前に来れば映るし、物が去れば消えるだけだ。しかも後には何も残りはせん。物が映ったからといって、鏡の中に生じたものは何もないし、去ったからといって、鏡の中に滅したものは何もない。これを、『生ぜず滅せず』と言う。 きたない犬の糞を映したからといって、鏡の中は汚れはせん。きれいな花を映したからといって、鏡の中はきれいにはならん。これを、『垢れず浄からず』と言う。 鏡の中に物が映ったからといって、鏡の目方は増えやせん。物が去ったからといって、鏡の目方は減りはせん。これを、『増さず減らさず』と言う。般若心経に不生不滅、不垢不浄 不増不減とあるのは、まったくこの鏡のように清浄無垢な人間の本性をうたわれたものじゃ」 五蘊 色受想行識 十二処 十八界 眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と、 色・声・香・味・触・法の六境の十二処。 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識を合わせて十八界とする。 十二因縁 一無明 無知。二行 潜在的形成力。三識 識別作用 四名色 名称と形態 五六処 六入。六感官 六触 接触 七受 感受作用 八愛 渇愛妄執 九取 執着 十有 生存 十一生 生まれること 十二老死 老い死にゆくこと 私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。私どもは皆仏心の一滴である。(円覚寺 朝比奈宗源老師) --------------------- #花園大学 #京都 #hanazonouniversity #禅 #禅とこころ #大学 #university