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1967年 茗荷谷「附属」生が過ごしたキャンパス【東京ヘリ撮50年】【映像記録 news archive】 2 года назад


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1967年 茗荷谷「附属」生が過ごしたキャンパス【東京ヘリ撮50年】【映像記録 news archive】

北から護国寺を見ています。 右が区立青柳小学校、その左上が日本大学豊山中学校・高校です。 縦の道が音羽通り、横の道が不忍通りです。 1967年、昭和42年9月の映像です。 画面左上からお茶の水女子大学のグラウンドが見えてきました。 その左側が附属中学校です。男女共学ですが、現在は女子が多数です。 不忍通りと春日通りの交差点です。 春日通りに沿って行くと見えてきたのが、お茶の水女子大学附属高校です。女子校です。 お茶の水女子大学の正門から、大学の本館に寄ります。 その手前が附属小学校です。現在は男女同数が基本の共学です。 さらに左手前が附属幼稚園です。現在は基本的に男女同数です。 お茶の水女子大学の上を旋回します。 この大学を男子が受験して合格点を取ると東京大学に入学できるという都市伝説のようなものがありました。 実際この撮影のころまでは、受験資格が女子限定かどうか、明確ではなかったようです。 その後は、明確に女子に限られ、2020年からは、戸籍は男性であっても自らを女性と認識している学生の受け入れが始まっています。 都バスの大塚車庫です。東京市電の車庫としてスタートし、1928年、昭和3年にバスの車庫になった、都バス車庫としてはもっとも古い歴史を持っていましたが、 2015年、平成27年に閉鎖されました。 もう一度、跡見学園の上を通って、左は区立新大塚公園です。ちなみに地下鉄新大塚駅近くには大塚公園があります。 お茶の水女子大のキャンパスをかすめて、跡見学園、大塚車庫、画面右上に見えてきた貞静学園の場所が、大塚という地名の発祥の地とも言われます。 地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅です。後楽園の先からここまで地上を走り、茗荷谷駅を出るといきなりトンネル。 地上から浅いのでトンネルの上に建っている建物からは電車の走る音が聞こえました。 大塚車庫跡地には、2023年に、中央大学の法学部が移転してきます。 左の瓦屋根は、外務省研修所。今は拓殖大学の留学生向け施設です。 グラウンドの左側、奥が東京教育大学、今の筑波大学附属中学校、手前が附属高等学校です。 音羽通りを越えて、首都高速5号線の建設現場です。橋脚が何本か建てられています。 画面右下の緑が、現在の鳩山会館です。 音羽通りの地下を今は地下鉄有楽町線が走っていますが、この時はまだありません。 左から当時の区立七中が見えてきました。 七中を取り囲むようにお茶の水女子大のキャンパスが広がっています。 ふたたび教育大附属です。中学・高校の校舎の間に建っているのは体育館です。 グラウンド側が高校の、音羽寄りが中学の体育館で、一棟につながっていました。 実は東京教育大学と筑波大学はまったく別の大学です。 筑波大がスタートした1973年10月から、1978年3月に教育大が閉学するまでの4年半の間、2つの大学が並び立っていました。 教育大はなくなりましたが、附属学校は筑波大の附属に生まれ変わりました。 お茶の水女子大のキャンパスを見ながら、画面下のビル、右が講談社、左が光文社です。わかりますか? 不忍通りとの交差点です。 不忍通りのこのあたりは、富士見坂といい、最近まで「実際に富士山の見える貴重な冨士見坂」とされていましたが、令和になった現在はどうでしょう。 お茶の水女子大と附属学校園のキャンパスと奥に教育大附属高・中学校が広がっています。 今回はここまで。現代の映像は今回はなしです。 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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